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第2話 位置と歴史
2つの名前と3つの国 
 ボルネオ。遠い島と思う人もいれば,身近に感ずる人もあることだろう。「猛獣毒蛇が横行する未開野蛮の地」といった昔の誤った話を,漠然と知識として持っている人がいる一方で,
第2次大戦時,兵として出征した人,戦後,船団を組んでカツオ漁に出かけた人も沖縄には多いだろう。開拓に従事した祖父,曾祖父を持つ方たちもいるはずである。1932年には伊平屋・伊是名両島の人たちが,現サラワク州へ入植している。 
 成田空港からボルネオ北部の都市コタキナバルまでは週1回のフライトがある。片道5時間かかるが,時差が1時間あるから,行き4時間,帰り6時間ということになる。飛行機は沖縄島上空を通り,八重山あたりがほぼ中間点である。
 ボルネオ島は赤道にまたがって北緯7度~南緯4度,東経109度~119度に広がり,面積74万6,000平方・・,世界で3番目に大きな島である。ちょうど日本の2倍の広さで,3つの国からなっている。北の部分はマレーシア国のサバ・サラワク両州に属し,その2つに挟まれるようにして,産油国であり,世界でもっとも金持ちの国といわれるブルネイ王国がある。島の残り4分の3がインドネシア領で,カリマンタンと呼ばれている。ボルネオという名前は,かつて島の大部分を領有していたブルネイ王国に由来しているが,インドネシアでは以前からカリマンタン島と呼んでいる。かつては全島の70・が熱帯多雨林に覆われていた。
 大航海時代は15五世紀最後の10年間に始まったとされる。喜望峰経由のインド航路発見,コロンブスの大西洋横断はこの時期になされた。ところが,それより100年以上も前に,すでに大勢の日本人が海を渡っていたようである。

沖縄とも交易・渡航の歴史 
中国史には,14世紀後半に「倭寇」の記録がある。倭寇が襲った地域は福建から広東にまで及んでいるが,豊臣秀吉による朱印船貿易では,さらに遠い東南アジアまで出かけて行った。その頃,すでにアジアの各地に日本人が住んでおり,ルソン島のマニラ,マラッカ,シャムのアユタヤには日本人街もあったようである。この時代,海外へ出かけた日本人は10万人におよぶと推定されている。沖縄から南へ渡った人たちも多かったのだろう。15世紀前半にはシャム,マラッカ,スマトラ島のパレンバン,ジャワ島,ブルネイとの交易があったし,カンボジア沖で琉球のジャンク(山原船であろうか)に逢ったというヨーロッパ人の記録も残っている。泡盛の製法なども,この時代に伝わったのだろう。
ところが,16世紀中頃になると琉球と東南アジアとの貿易は急速に衰退する。ポルトガルのアジア進出と中国沿岸における倭寇の活動が原因といわれる。
1635年,徳川幕府は日本人の渡航と帰国を禁じた。各地の日本人町は,どんどん人数が減り,やがてどこでも衰亡の一途をたどったわけである。
さて,そうした日本人が,200年を超える長い鎖国の後で,1866年ふたたび開国を迎えることになる。日本の政治の担い手,若い知識人が,どんどんヨーロッパへ出かけた頃,かなりの日本人が南方へ渡っている。捕鯨船や外国船の水夫,真珠貝採りの漁民,農業移民,鉱山夫,道路建設の人夫,ゴム園労働者,からゆきさんたち。歴史に残らない庶民の渡航というのが,この時代の東南アジアへの渡航であったようだ。
『サンダカン八番娼館』(山崎朋子,筑摩書房)は,近代日本とボルネオのつながりを図らずも明らかにしている。私が初めて訪ねた1985年,サンダカンの墓地には,沖縄出身者と分かる墓碑が幾つかあった。 
第3話 ボルネオのヤマネコ
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