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主食は米、調理方法は「ご飯」
 沖縄で農耕が始まった頃の主な作物は米・麦・粟に豆類であったらしい。
しかし、生産量は少なかったようで、台風や旱ばつで飢餓に陥ることもあったようだ。中国から甘藷が伝来したのは17世紀初めで、これにより飢饉の恐怖を幾分やわらげるようになった。その後、栽培技術の進歩で甘藷が一般の主食となり、米麦は都市地域において食べられる他は、貢納品となってしまった。今日のように、沖縄のどこへ行っても米が主食となるのは、第2次大戦後である。今さらと言う人もあるだろうが、モチ米(糯米)とウルチ米(粳米)を定義しておこう。モチ米は粘り気の多い米で、餅などにする米。一方、ウルチ米は粘り気が少ない米である。
 我々が食べているジャポニカ種は、インディカ種に比べ粘り気があるが、どちらもウルチ米に属する。ボルネオの主食は米。調理法は「ご飯」であり、「お粥」ではない。東カリマンタン北部のクラヤン高原では、毎日お粥を食べるが、そこでさえ、基本は炊いた飯である。スブク川奥地のトゥンガラン族はキャッサバを食べ、「米が出来ない」と言ったが、土地が適さないのではなく、過疎化で、自分たちだけでは稲作が出来ないと言う意味であったようだ。米を御飯にする方法には炊く・蒸す・湯とり法の三つがある。炊き法は、現在の日本で最も一般的な方法である。米をとぎ、適量の水を入れ、そのまま炊き込んで水を飛ばすやり方だ。ボルネオでも、ほとんどがこの方法である。蒸し法は、日本ではモチ米の時に用いる。まず米を十分に水に浸し、それを甑(こしき)やセイロなどの蒸し器に入れ、水蒸気で蒸す。出来たものが強飯(おこわ)である。

モチ米を炊き込む竹飯
 湯とり法と言うのは、炊き法と蒸し法の中間型のようなものである。まず、米を洗わずにかなり多めの水で煮る。だいたい熱の通ったところで,ザルにあけておも湯を捨て、半炊きの米だけを取り出す。その米を蒸し器に入れて飯にする方法である。ボルネオでは少ない方法だと感ずるが、スマトラ出身の知人は、一緒に調査へ出かける時、いつも、この方法で御飯を作ってくれた。炊き法はモチ米には向かない。米が粘って焦げ付いてしまう。しかし、湯とり法はモチ米でもウルチ米でも、ご飯にすることができる。モチ米を炊き込む例もある。ボルネオ最奥地で、稲の種まきに参加したときだった。畑の隅では何本もの竹筒が斜めにして焚き火にかけられていた。昼時、その竹筒が1人1人に配られた。「何だろう」と、草で作った栓をぬくと、炊きあがったモチ米が詰まっていた。竹飯である。食べるときに竹を割り飯だけを取り出す。竹の香りがしておいしかった。
 餅と言えば、臼と杵を使って作るのが一般的だが、モチ米の粉を蒸してつくる餅がある。まず、モチ米を一晩水に浸し、十分に水を含ませる。これを石臼で引くと簡単に粉になる。この水分を含んだ、液状の米の粉をシトギというが、このシトギを木綿で漉す。実際は,なかなか水分がぬけないから、袋の中に入れ外側から板や石で圧力をかける。これを手で練った後、伸ばし、バナナの葉にくるんで蒸したら出来上がりである。ボルネオでは、モチ米の中に肉類やいろいろなものを詰めたり、蒸すのではなく、焼く方法もある。私は以前、八重山でまったく同じものを見たことがある。ただし、その時はモチ米にウルチ米も少し加えていた。沖縄ではバナナだけでなく、ビロウ(クバ)やゲットウ(サンニン)の葉も普通に使っている。

第21 話

第20話 米と御飯