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ジャワ・バリからカリマンタンへ
 サラワク州では、1908(明治41)年、最初の日本人によるゴム農園が開かれている。当時、クチンには約60名の日本人がいたが、正業についている人は1割に過ぎず、あとは売春婦と、それに関連した男たちだったようだ。
2年後の1910年、依岡省三が「クチン商会」を設立。これは後に、株式会社日沙商会に発展し、サマラハンに事務所と農場を持つ。今でこそ、クチンから車で2時間と僅かであるが、当時は水路を小舟で14~20時間を要したそうだ。
このサマラハン農場に、1932(昭和7)年、伊平屋・伊是名の人たちが入植する。専ら稲の栽培であった。ただ、土地が米造りに合わなかったことや、熱帯での米作り技術が違っていたことが原因で、1937年には、全員が引き上げてしまう。
戦後、沖縄は引揚者によって人口が急増する。また広大な面積が軍用地として接収され、農耕地が少なくなってしまった。このことが、食糧不足や社会不安を生んだ。その頃、いち早く、食料の自給と生活の安定を求めて、西表島や石垣島へ移住する人たちがあった。いわゆる自由移民である。一方、琉球政府による計画移民も多い。沖縄島北部や宮古諸島、それに八重山の離島からの移住希望者もあった。
トランスミグラシはインドネシア政府による国内移住政策で、オランダ植民地時代はコロニサシと呼ばれていた。この政策は、ジャワやバリなどの人口稠密地域から希望者を募り、政府の援助によってスマトラ、カリマンタンなどの外島に入植させて、ジャワ、バリの人口過密の解消と外島の農業振興を図ろうとするものである。さらに、近年は移住対象地域の総合的な地域開発の一環として位置付けられている。

沖縄からも多くの化石
  慶良間諸島の屋嘉比島・慶留間島・阿嘉島の3島にはニホンジカが生息する。一般にケラマジカと呼んでいる亜種である。かつては久場島・渡嘉敷島・座間味島にもいたといわれる。『琉球国由来記』によれば、崇禎年間(1628~1644)に鹿児島から移入し、久場島に放したとある。慶良間諸島のニホンジカは、おそらく記録どおりの移入種であろうが、もともといたとする説もある。と言うのも、琉球石灰岩の割れ目からは、リュウキュウジカ・リュウキュウムカシキョン・ノロジカ・ミヤコノロジカ、そのほか数種類のシカの化石が見つかっているからである。
 リュウキュウジカは沖縄島・久米島・石垣島などで発見されているが、ニホンジカとは異なる古いシカである。
 リュウキュウムカシキョンは、現在中国からミャンマーにかけて生息するマエガミジカに近縁の古いタイプで、体長80センチメートルほどの小型のシカである。 
 ノロジカは、沖縄島や宮古島から発見されている。かなり大きなシカであったようだ。ノロジカは現在、旧北区に広く生息している。
 それぞれの足に複数のひずめをもつ動物を偶蹄類と呼び,日本ではシカ科、イノシシ科、ウシ科(カモシカ、家畜)がいる。ボルネオでは、さらにマメジカ科が生息する。
 ボルネオに分布するスイロクは、頭胴長(鼻先から尻まで)2メートル、体重100キログラムに達する大型のシカである。ツノは30~60センチくらいで、大きいものでは三つ又に成長する。体型や大きさはニホンジカに似ているが、全体に暗褐色で、ニホンジカのように尻が白かったり、体に白斑がでることもない。
第23話 シカの仲間

第22話 国内移住政策