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Tシャツ文化が定着
 ボルネオとて町での服装は、日本とまったく変わらない。勤め人は開襟シャツか背広。女性は大柄の色鮮やかな布地を好むので、むしろ日本より垢抜けしている感もある。イスラム教の婦人は薄地のゆったりしたマレー服を着る。ズボンと長い上着が対になっている。
では、いなかや奥地はどうだろう。今や、老若男女を問わずTシャツが圧倒的に多い。男性は長ズボンか半ズボン、半袖シャツも人気がある。女性は日焼けを嫌ってか、長いスカートに長袖シャツを着けているが、中には上半身ブラジャーひとつで農作業をしている人もある。ブラジャーとは下着だと決め込んでいる我々にはドキッとさせられることも多いが、これも新しい洋式文化なのだろう。
 私たちが本や雑誌で見るダヤク諸族は、決まって裸、手足に入れ墨をほどこし、蛮刀と槍を持っている。あるいは、鳥や花をあしらった文様の鮮やかな衣装をまとっている。しかし、普段、そういう人たちを見ることは絶対にない。裸の写真は昔を再現させたものだし、たくさんの刺繍をこらした衣装は、儀式や特別の日にだけまとう正装なのである。本の写真などに一言説明を加えて欲しいものだ。
約40年前、重機をたずさえて日本人としては初めてカリマンタンの伐採に入った知人によると、当時、男は褌ひとつに蛮刀のみ。女は腰巻だけで、上は何もまとっていなかった。そして、噛みタバコで口を真赤にしていたそうだ。  
腰巻には木綿、マニラ麻、パイナップルの繊維、僅かながら絹が使われている。あらかじめ染めておいた糸を織る方法は、幾つかの部族にあるようだが、ボルネオでは伝統的なロウケツ染めを見たことがない。あるいは、私の知識不足なのかも知れないのだが・・・。

15世紀の沖縄と共通の風習
 これとは別に、20世紀半ばまで、イバン、クラビット、カヤン、クニャ、プナン、ブヌア族には樹皮布を使う生活習慣があった。樹皮布は、カジノキをはじめとするクワ科の樹皮をノートサイズに切り取り、外皮を取り除いた靭皮(じんぴ)を叩きのばしたものである。大きな布とする時は、2枚の縁を重ね合わせて叩くと繊維が絡み合って接合される。靭皮から出る液汁も接着剤となる。服にする時は、接着剤を使うか、縫うようである。
穿耳(せんじ)は耳たぶに穴を穿つ習慣で、ボルネオでは一般的である。イスラム教徒は女児に限られるが、生後2週間くらいの時、割礼と同時に施術を受ける。ダヤク諸族は男女とも出生後まもなく穿耳し、穴に金属をいくつも下げて伸ばし、巨大な耳たぶにする風習があった。
サバ博物館には、1910年前後に撮影されたムルット族の写真がある。連続して7つくらいの穴を開けて、それぞれに直径3・くらいのリングをはめている人、今で言うピアスをしている人もある。さらにネックレスをし、珠を貫いたバンドを、肘のすぐ上に2~5本巻きつけている。別の部族は脛にも珠を貫いたバンドを巻いていた。
 興味深いのは、1477年の朝鮮漂流民が見た八重山である。「与那国島では、男女とも耳たぶに穴をあけ、小さい青珠を貫いたものを2、3寸垂らしたり、珠を貫いたものをうなじ項に3、4回巻いて1尺ばかり垂らしている」。「新城島では、男女とも青珠を肘および脛に巻いている」と、ボルネオとまったく同じことが記録されている。直接とは言わなくとも、沖縄とボルネオとの関わりを暗示する風習である。ちなみに、「西表島では、女性に限って鼻に黒い木ぎれを1本突き刺していた。それが僅かに突き出ているので、鼻の両側にほくろがあるみたいだ」とあるが、この風習は,ボルネオにはない。 

第25 話

第24話 服装