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廊下に吊された骸骨
 古くダヤク諸族に共通した風習として「首狩り」があった。
韓国の『李朝実録』の中の「成宗大王実録」には,1477年,暴風によって八重山で遭難した船乗りが,2年後に無事帰国を果たした記録が収められている。当時の沖縄や九州を知る貴重な資料であるが,鹿児島と博多で,武士たちが槍の先に敵の頭を突き刺して凱旋するのを見たことが記されている。
日本の武士社会にあった頭を切り落として持ち帰る習慣と,ボルネオ島の首狩りとの関連は私には分からない。しかし,勝利のあかしであり,戦果を誇示する意味では似たものであっただろう。少なくともボルネオでは,持ち帰った頭を丁重に扱うことにより,「相手の力が,自分にそなわる」という考えがあったようだ。だから,狩った首を家の中に祭ったのである。
サラワクでは,現在でもラミン(長大家屋・ロングハウス)の広間で,梁から吊した骸骨を見ることが出来る。大人が立つと頭くらいの高さにあり,籐であんだかごに数個ずつ入れてある。ブルネイでは,骸骨を1ヶ所にまとめた小さな堂を見たことがある。カリマンタンではまとめて埋めたり,外からは見えないように洞に集めたと聞いている。すべて,進駐した日本軍の命令だったそうだ。
ドゥスン族の村では,子どもが死ぬと必ず近隣の村を襲って同じ年頃の子どもを殺す習慣があった。1種の憂さ晴らしだったのである。しかし,子どもを殺された村では,その親が仕返しをする。やられた村ではまた復讐に出かけるといった具合で,いくつもの村が互いに子どもを殺し合ったそうである。

目的は土地の占有
 別の部族では,青年が結婚適齢期になると1人で旅に出る。心身を鍛えながら,自分にふさわしい女性と巡り会えるまで,村から村を渡り歩くのである。気に入った娘に出会い,求婚し首尾良く承諾されると,自分が勇敢であることを示すために再び旅に出て,どこかで首を狩り持ち帰らねばならい。北ボルネオ群のダヤクには,そんな風習もあった。
しかし,各地を歩いて分かったことだが,首狩りの1番の目的は村と焼畑のための土地占有だったようだ。村を建てる条件は,魚の豊富な川沿いで,近くにイノシシの猟場と焼畑に適した土地があることである。焼畑は毎年場所を変え,収穫後は,土地の回復まで15~40年も放置しなければならず,広大な土地が必要だったようである。
サラワクのイバン,東カリマンタンにかけて分布するカヤン,クニャは,盛んに戦いをした部族で,その規模も大きかった。ボルネオ最大の川,マハカム川源流域に押し寄せたイバン族は,一団が2,000人の大部隊だったそうだ。実戦に使われた盾を見たことがある。儀式や民族舞踊で使われるのとは大きく異なり,薄い板で軽く出来ていた。そして,籐づるを網の目のように縫い込んである。いくさの際に,盾が割れてしまったらおしまいだが,こうすれば,その部分だけの破損で済むのだという。
カポックの綿を1・の厚さに縫い込んだジャケットで身を固めたとも聞いた。今で言う防弾チョッキで,山刀も槍も,そして近代では鉄砲の弾も通さなかったそうだ。
首狩りの習慣は,キリスト教ミッションが奥地へ入った1930年代から急速に減り,日本軍が進駐したときには,完全になくなっていたという。もっとも,敗戦直後,「今日からは皆平等だ」と,したたか祝い酒を飲まされ,体の自由を奪われた後,首を落とされた軍人の話が,同僚の手記に残されている。

第34話 爬虫類

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第33話 首狩り