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紋様で階層の区別も
 入れ墨はダヤク諸族に共通した風習である。もっとも,サバ,ブルネイでは完全になくなり,カリマンタンやサラワクでも年寄りだけに残る風習である。一方,イスラム教徒は入れ墨を好ましくない行為とみなし,強く禁止している。女性だけに施す部族もあるが,クニャ族やモダン族は男女ともに入れ墨をする。メンタウェイ諸島のシブルット島でも男女ともに施し,台湾先住民族のパイワンでも,男は胸,女は手の甲に入れ墨をする。
入れ墨を施す部位と紋様は部族によって決まっており,その部族の証としたらしい。また,クニャ・カヤンのように位階がある部族では,下肢に施したリング状の模様の違いで,王家・貴族・平民を区別した。
入れ墨がもっともすごいのはイバン族で,手はもちろん,全身に入れており,さらに,首狩りがあった頃は,人を殺すたびに手の甲の入れ墨を増やしていったそうだ。オトダヌムはすねの後ろだけに入れ墨を施している。昔あった部族間のいくさは,褌ひとつの裸で争ったわけで,そんな時,入れ墨の違いでお互いを区別し合ったそうだ。
マハカム川源流域は,遅くまで入れ墨の風習を残している。プニヒン族は30代でも多くの婦人が手足の上側全面に入れていた。手では指のそれぞれの基節に縦筋を3本,中節には太めの横棒を1本。末節には入れてない。甲の全面,それに手首の,ちょうど時計をはめる位置に帯状に半周だけ施す。これは,いくつもの細かな紋様から成っているというのではなく,べた一面に施されている。足では指のそれぞれの基節に横筋を1本だけと,甲の全面。それに足首に帯状の模様を1周させている。足に関しては,黒のソックスをはいたように上まで入れている人や,リング状の入れ墨が数本ある人もいた。17才から20才の間に施すのが普通だ。

喉の入れ墨は勇者の証
 プニヒン族では,男性の入れ墨は少なかったが,喉と胸の両側に入れている人が見られた。胸の位置は,紋付きでいう紋にあたる部分だ。喉は,入れ墨するとき一番痛くて辛い部分で,ここに入れ墨を施すということは,最も勇敢な男であるという印なのだそうだ。
入れ墨はボルネオから琉球列島まで,先住民の間で普通に行われていた風習である。墨汁を含ませた針の束で突くので,沖縄では「針突(はづき)」と呼ばれたが,北は奄美諸島から南は八重山諸島に至る昔の琉球の島々で,女性にのみ行われていた。
手の指には矢,手の甲には機織り具・裁縫具をかたどった模様を入れた。矢の模様は,1度嫁いだら矢のごとく2度と帰らないことを表し,機織り具・裁縫具は女芸の上達を祈る意味であると考えられている。しかし,針突の由来に「昔,聞得大君(きこえおおきみ)が久高島へ渡る時,遭難して日本に漂着した。その地で身分のある人から求婚されたが,神職にある身で従うわけにいかず,手の甲に入れ墨して醜く装い,貞操を守った」とあるから,既婚者の印でもあったのだろう。昔は海賊が来て,未婚の女性をさらうことがあったらしい。
7世紀初頭の随で書かれた『流求国伝』には「流求では,婦人の手に入れ墨を施している」と書いてあるそうだから,かなり古い時代からあった風習なのだろう。ただし,そこで言う「流求」が今の沖縄なのか,あるいは台湾を指しているのかは分かっていない。
入れ墨は,明治12年の廃藩置県後,沖縄県令によって禁止されたが,明治中頃まではひそかに行う人も多かったようである。私が初めて沖縄を旅した1965年,山原地方,宮古・八重山諸島では,入れ墨が老婦人の手に普通に見られたことを覚えている。

第36話 風葬

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第35話 入れ墨