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最奥地で見た葬式
 マハカム川源流域への入口は、数・・にわたって、100・を超す絶壁が両岸にそそり立っている。その、川から50・の高さにあるテラスの部分には長さ2・ほどの直方体の箱が置かれている。風化し、説明されなければ見逃してしまうが、風葬した棺だそうだ。
葬式は宗教により実に色々だが、ボルネオではヒンドゥー以外は火葬はしない。イスラム教は、死者が出ると、その日のうちに墓地へ運び棺のまま土葬し、その後、木製または石製の蓋を被せる。ダヤクは、今はほとんど土葬だが、方法は部族により様々である。
マハカム川源流域の小村で、葬儀に参列したことがあった。こちらでは、人が亡くなった時、村の大人たちが集まり葬式の準備を始める。男の一団は山へ入りボルネオテツボクを探し現場で製材する。棺を作るためである。最近、村の近くでは手に入りにくいために、普段から製材したものを貯えてある。棺は、人が死んで初めて作る習わしだが、これは、人によって大きさが違うからだろうか。
別の男たちは祭壇の準備。また、婦人たちと共にブタをつぶす。参加者へのご馳走の準備である。ダヤクの人たちは食用にブタを飼育しているが、普段は山で捕らえたイノシシやシカを食べ、ブタは大きな祭りや葬式の時にしか処理しない。貴重な財産なのである。
祭壇は家の中に作られ、棺には刺繍が施された被いが掛けられる。また、後ろの壁には高価な布や首飾りなどが所狭しと飾られる。しかし、これらを墓へ持って行くことはない。  
棺の周囲には親族が、そして、家の中には身動きがとれないほどに人が集まり、何時間も共に過ごす。人々は肩を落とし一言もしゃべらず、その沈痛さと悲愴さは、私が生まれて初めて体験するすさまじいものだった。服装は男女とも全員普段着のままだが、親族の女性に限って、白布のヘアバンドをしていた。

沖縄にもあった風習
 数日間におよぶ葬儀が済むと、男たちは棺を担ぎ岩棚の上や鍾乳洞へ運び安置する。村から2時間、遠い所は4時間もかかるそうだ。今から50年ほど前までは、死者が出たとき、すべてこうして弔った。籐で編んだロープを使って、崖の上側から吊り下げるという命がけの風葬であるが、安置後は、特に墓を訪ねることはないそうだ。今ではこうした風習もなくなり、土葬に変わっている。墓地は普通、村はずれか川の対岸に作られている。
マハカム川中流域から中カリマンタンにかけて分布するブヌア族の村では、集落から少し離れた森に墓地を作る。死者が出ると、木の棺に入れ墓地に運び、ヤグラの上に安置する。ヤグラは細い丸太を組んだもので、高さ約2・、長さと幅は棺が載るのに十分な大きさに作ってある。これは昔からの方法で、平原や丘陵に住むダヤクの風葬なのだろう。
5年から10年近く放置し、その後、骨壺に納め地中に埋める。その際、洗骨をするのかどうか尋ねたつもりだが、残念ながら記憶にない。墓は木の柵で囲み、墓全体がすっぽり入る家を造って、墓にかぶせる。高さ1・、畳1枚ほどの大きさである。
 風葬は琉球列島でもあったようだ。奄美諸島から八重山諸島まで、洞穴などに白骨が累々と並べられているのを見るが、これは風葬跡だろう。昭和10年代の文献には、「先島のある島では、洞窟や岩の陰などに茅の菰を敷いて、その上に死体を寝かせて帰るだけで、法事もしなければ位牌も作らない」と、風葬のことが書かれている。
死者を棺に収めて、後生(ぐしょう)と呼ばれる絶壁の谷間に安置する久高島の崖葬、野原に周囲を石で積み上げ、屋根を茅で葺き家のようなものを造り、そこに死者を納める新城島のヌーヤ墓も、風葬の1種であろう。いずれも、最近まであった葬式である。
第37話 食用の燕巣

第36話 風葬