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多くは戦中,戦後の書物
 先人たちはボルネオをどんな風に感じたのだろう。昔のボルネオはどんなであったのだろうか。そんなことに私は大変興味を持っている。
豊臣秀吉の時代,すでにアジアの各地に日本人が住んでいたようであり,また,明治に入ってからは,かなりの日本人が南方へ渡っている。ただ,ほとんどが労働者,からゆきさんだったようで,彼らによって残された書物はまったくない。
日本人による書物のほとんどは戦時中か戦後のものである。第2次大戦中,軍人・民政官としてボルネオに滞在した人たちが,復員後に書かれた本が多少手元にあるが,死と隣り合わせの苦労もさることながら,戦争とはなんだろうかと考えさせるものばかりである。
それとは別に,私が繰り返し読む本が2つある。『河の民』(里村欣三,1943三年)と『キナバルの民』(堺誠一郎,1943年)である。著者の2人は1942年,従軍記者としてシンガポールに滞在していたが,休暇を利用し,それぞれカメラマンと共に,里村氏は北ボルネオ最大の川,キナバタンガン河を遡る。一方,堺氏はクロッカー山脈の山麓部を約2週間,馬に乗ってぐるり一周する。
私は2002年に7ヶ月半,クロッカー山脈で生活した折,あらためて『キナバルの民』を読み直してみた。
「直径2・もあるような大木がいかにも樹齢をまっとうしたというような形で朽ちて倒れており,落ち葉がフワフワするほど積もり重なっていた。(中略)薄暗く,ただところどころに斑点のように陽の光がこぼれ落ちていた」。ボルネオの魅力がひしひしと伝わってくるくだりであるが,残念ながら今はそんな森林はほとんどない。

時代を超えた貴重な資料
 私が山をおりて買い物をする町がケニンガウ。そこからアピンアピン村までは20・・の直線道路,車で15分ほどだ。本には「直線道路を造るために明日,日本から測量技師が来る。知事の最初の仕事になるはずだ」とある。知事とは北ボルネオ内陸部,ケニンガウ県に着任したばかりの山崎剣二氏である。
キナバル山麓にあるポリン温泉は,ボルネオ島唯一の温泉として,キナバル観光には欠かせないスポットになっている。この地を初めて訪れた日本人も前述の山崎氏である。当時,源泉は深いジャングルの中にあり,土地の住民は恐い所として近寄らなかったそうだ。日本軍と軍属の憩いの場所として開発しようという山崎氏の発案。温泉は決して危険なものではない。むしろ皆が患っている皮膚病にも効くのだと,住民説得が結構大変な苦労であったことなども,この本に書かれている。
「野獣や天候に対する不安もあるが,人種のちがう人々の表情から,彼らが何を考えているのかを読みとる自信がなかったし,何といってもまだ見たこともない奥地の住民につかまえどころのない不安を感じていた」。本の出だしにはそんなことが述べられているが,今では,まったく心配する必要のないことである。
旧道を探し,村を訪ね,古老に話を聞いては,当時を想い現在と重ねてみる私であるが,堺氏はケニンガウやポリンが,今日のように発展することを想像していたであろうか。また,作品がこんな風に時代を超えて読まれることを考えたことがあっただろうか。
すぐれた作品は,喜び,悲しみ,悩み,愛といった時代を超えたテーマを含んでいると同時に,歴史,地理,民俗学など科学の分野に貴重な資料を残してくれる。私は動物学という別の世界にいるが,ありのままを着せず飾らず記録することを心がけている。

第47 森林開発

第46 
先人の足跡を辿る