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| 第5話 アジア共通のイノシシ猟 |
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犬が探し追い詰める
私が西表島で生活していた当時、大家さんは島一番のイノシシ捕りの猟師であった。私もイリオモテヤマネコの調査を兼ねながら、山行きに同行したものである。 西表島では、イノシシ捕りに、はねワナが使われている。木の弾力を利用してワイヤーで獲物を吊り上げるものである。 はねワナは、戦前、台湾からの移住者が伝えたもので、彼から学び,西表島で最初にはねワナを使った人は、船浮の人であった。 はねワナは、今では西表島で唯一の方法となっているが、広く東南アジアで使われている猟法で、人々の移動と共に各地に伝えられたものだ。ただ、対象とする動物によって棒の太さや長さが違ったり、仕掛けの部分の踏み板や止めピンの形が異なったりしている。 はねワナが広まる以前は、ヤマと呼ばれる石を用いた圧殺式のワナがあった。ヤマは支柱に支えられた木の枠組みの上に石を積み上げた構造で、イノシシがこの下を通ると支柱がはずれ石がなだれ落ちる仕組みになっていた。石は200・・近くになり、作業中、ヤマが崩れて猟師が大けがをすることもまれにあったようだ。 西表島のことが書かれている最初の書物は、韓国の『李朝実録』の中の「成宗大王実録」である。1477年,済州島から都へ向かっていた船が遭難し西表島近くにまで流されてきた。しかし、幸い3名が与那国島の船に助けられた。そして、2年後に無事、帰国できるわけだが、その際,立ち寄った島々での彼らの見聞が記録に残っている。この中に西表島のことが,詳しく書かれており、イノシシ狩りについても特別に書いてある。 「山にはイノシシがいて,島民は槍で猟をしている。常にイヌを連れて狩りに出る。捕ったイノシシは毛を焼いた後、これを煮て食べる」。これは、西表島で戦前までやっていた方法とまったく同じである。イヌを1、2頭連れて山を歩き、イノシシを見つけるとイヌに追跡させ追いつめ、とどめは槍で突く。焚火の上で丁寧に毛を焼き落とし、水で洗った後,初めて解体する。 同じやり方が500年も続いていたのである。 ボルネオでイノシシ猟をするのは、イスラム教徒でないダヤク族だけである。イスラム教徒にとってイノシシ(ブタ)は不浄の動物なのである。 ボルネオでは、はねワナ猟も落とし穴によるイノシシ狩りもあるが、一番多いのは、西表島で500年も続いたものと同じ、槍による猟である。槍は長さ2・、太さは5・くらいある。黒光りしていて相当に重い。多くはテツボクを使っている。獲物のあったときは天秤棒にして2人で担いでくるくらいだから相当丈夫なものだ。穂先は両刃で50・は超える。 猟師は常に2人で組む。もっと多いこともあるが、決して1人では行かない。山にはたくさんの精霊が住み、1人で行く者をかどわかすというのである。 山へ入るとイヌが一人歩きをする。獲物を探し回るのだ。猟師はあまり動かない。イノシシを見つけると、イヌはけたたましく吠える。この時、初めて猟師はジャングルを駆け抜けて現場に急ぐのである。たいてい、イノシシは大きな木の根もと、岩のうろ、倒木のところなどに追いつめられている。それを槍で一突きにするのである。 カリマンタンでは、ほとんど山で解体するが、どこでやっても頭は食べず,山や川に放置する。宗教的な意味があるのかも知れない。 この他、大きな川の上流域では、舟でイノシシを仕留める猟がある。1年に2度、イノシシが群で川を渡る時期があり、しかも、場所と渡る方向が定まっている。群が川の真ん中へ来たときに全速で近づき、槍で仕留めるというものである。何回か同行したことがあるが、一瞬だが,急流が鮮血で染まる光景は,あまり気分の良いものではない。 |
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