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12話 きつい仕事も、さらりと楽しく。バイトの明け暮れ。
安間 繁樹
 学生時代、土屋くんと僕のバイトは専ら運転手だった。当時、高額のバイトといったら運転手くらいである。免許証を持つ人が多くなかったから、バイト代も高かったのだろう。バイトには社会保険や健康保険は付かなかったが、本職より高給取りだったことも確かだ。大学出の初任給が3万5千円の当時、僕らは、4万円は堅かった。もっとも、仕事も結構きつかった。僕はニッカウィスキーの倉庫から、2トン車にウィスキーを満載して、午前午後1回ずつ問屋まわりするのである。もちろん積み卸しも自分でやる。 
土屋くんはもっぱら夜、日刊スポーツ本社から都内の駅売店(今のキヨスク)に新聞の束を配るのが仕事だった。お互い、健康と体力だけで続けることが出来た仕事である。
土屋くんは免許証を取る前、しばらく牛乳配達をやっていた。朝、暗いうちに起きて、決められた地域を一回り。それが済むと、かき込むように朝食をすませて大学へ。昼にも牛乳配達。一度に数百軒もまわるのである。「友だちを作る機会がないしね、サークルにも関心があるけど、時間がないさ」。ポツリともらす土屋くんの顔は少しばかり淋しげだった。
僕らは内に籠もる性格ではないし活動的な性分だったから、仕事がきついと言っても、そんな生活を十分に楽しんでいたように思う。「築地の交差点だったよ。4トン車がマグロをばらまいてね。1本、数十万円はするやつだよ」。とっさに、土屋くんが交通を遮断して回収に協力した話。ある時は新品の電気釜を20個近く拾った。警察に届けたのだが落とし主が現れず、半年後に友人たちに配った話。僕はと言えば、日曜日に仕事が入り、それが、おめかけさんの引っ越し。仕事の後、たっぷりごちそうになり祝儀ももらい、大きな日本人形までをもらったことなど。二人が会ったとき、笑いのたねは尽きない。
13話 稼いだ金が酒になり、内地で悟った沖縄の味