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学生の飲み場と言ったら、やはり一番はアパートだった。なにしろ場所代がいらなかった。まずは、ちょっと贅沢にビール。サッポロジャイアンツとかいう1.8リットルビン。次は日本酒。早稲田のアパートでは何が何でも「剣菱」と言っていたが、「黄桜」「菊正宗」なんかがポピュラーだった。話もそうだが、渡口さんは「刈干切唄」が十八番だったし、はやり始めた「芭蕉布」なんかが歌われた。皆、結構良いノドをしていた。かな?
日本酒が空になると、あとはオーシャン、ハイニッカ、トリス、サントリーレッドなどの安ウィスキーか焼酎。たまにと言うか、まれに沖縄みやげで洋酒があると、皆、今日の恵みを神に感謝し、涙なしでは飲めなかった。ホント。なにせ、「焼酎1合を空けて、鼻をつまんで100メートル走れ」。そうすると酔いが早いとか、僕の生物学教室では、製氷室から氷を取り、エタノールをクエン酸と水で割って飲んでいた時代である。焼酎は,今でこそ若者にも人気だが、当時は「安くてまわりが早い」民衆の酒だったのである。
大衆酒場は、唯一「養老の滝」で、今あるような何十人も入れる安い店はなかった。居酒屋とか焼鳥屋というのは、カウンターがあって、それにテーブルが2つか3つというのが平均的な店で、焼酎のビール割りなんかが好まれた。コップに注いでもらい、長いすに腰掛けたり立ち飲みできる酒屋があったし、そう言えば、新宿にはスタンド・バーというのがあった。ジュースの自動販売機みたいなものが並んでいて、それぞれに清酒の銘柄が書いてある。コップを置いて百円玉を入れると、燗がついた酒が注がれるのである。つまみはカウンターで直接買った。そんな店を土屋くんとはしごしたこともある。あんな店、今でもあるのかなあ?
第25話 ミレーのむこうをはって「最後の晩酌?」。仕事より酒。
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